本日は、四時頃まで仕事し、その後『大徳寺』に行き『黄梅院・高桐院等々』
に行ってみた〜何せ観光客で一杯なので一番環境の悪い時に行けば人も少ない
と思い訪ねてみた。
やっぱり殆ど観光客はいなくて、高桐院では住職に直接案内してもらい面白い
話を聞けたのである。
『高桐院』
細川三齋が父幽齋の菩提寺として創建。茶室松向軒は三齋好みと
伝える二畳台目の席。書院意北軒は千利休亭からの移築と伝える
。三齋の募塔は、もとは利休の灯籠であったが、秀吉に望まれた
ために、利休はわざと笠の一部を削って断り、三齋に贈った物で
あるそうな。
利休の意地をとうとうと、住職は話していただいた〜たとえ天下人『秀吉』
の命令でも、譲れぬことは命を懸けたのらしい。
私が思うに、【命を懸けてまで灯籠の笠の一部を壊して秀吉の命令に逆らっ
たのなら、壊さず命を懸けて欲しかった】と言っておいた。
それにしても、一つの灯籠で歴史に残る人が命を懸けたとはプライドの世界
だったのだろう。見習いたいな〜
灯籠を利休から譲り受けた三齋は、その後転勤??するたびに灯籠を持ち歩き・
(熊本等々)
最後に、京都の高桐院に遺言により自分自身と妻のガラシャ夫人の墓標とし
たそうだ・・立派だな、自分を大事にしてくれた人を一緒忘れない三齋万歳
万歳〜! 自分も見習わないとな・・・
大徳寺の金毛閣
高桐院の墓所(欠けた灯籠)
秀吉と利休と三齋が命をかけた
きっと、何年か前には、三人一緒に眺め感嘆したのであろう〜
(私は、何も感じるものはなかったが)
兎に角、いい人に会え、いい説明を受けられた『大徳寺』に万歳!
まだ、『孤蓬庵』とか三千家の菩提寺の茶室とか龍光院の茶室・庭
を見に行かねば・・あ〜急がし・ありがたや〜ありがたや