雨 寒い 一日

本日は 朝からマンション住まい 野球も中止


  文藝春秋を読む 

その中に土屋賢二さんの「誰からも必要とされない存在」面白い!

       団塊世代のひとにはな!


【長い刑期を終えたようだ。この○月で三十五年間勤めた大学を定

  年退職したのだ。とくにうれしのは、義務から開放されたから

  だ。

もちろん、国民の三大義務(納税、右側通行、手洗い)はある。そ

  れ以外の基本義務(ゴキブリが出たら殺す、ビンの蓋を開ける、

  妻の料理を残さず食べる、口答えしない)も五百九十ほどある。

  しかし仕事上の義務は、およそ八つから開放されたのだ。

義務がなくなるということは、その分、人から必要とされなくなる

  ということでもある。ゴキブリが出るなどしないかぎり、今や

  だれからも必要とされないのだ。そのことに、疎外感を抱く人

  もいるが、私は違う。これからは誰にも気を使うことなく、好

  きなように暮らせるのだ。「仕事のため」とか「役に立つとか」

  といったことを気にする必要もない。他人も仕事も気にせず、

  すべてを幼児のように見、幼児のように楽しめるのだ。心躍ら

  ないわけがない。

しかも、わたしは幼稚園に入って以来、六十年にわたって学校に身

  を置いてきたが、実は幼稚園のころから、学校に行くのが嫌い

  だった。嫌いだった理由は、犬や猫が学校に通うのが嫌う理由

  と同じだ。学校では、動物の本性に反して、長時間じっと座っ

  ていなくてはならず、走り回ったり、、歌ったり眠ったりする

  ことができない。こういう自由を大きく制限された不自然な状

  態を強いられてきた。そこから開放されたいという子供のころ

  の願望が、六十年かかってやっとかなったのだ。うれしくない

  はずがない。だが、問題もある。男は社会から必要とされなく

  なると、その瞬間に、家の中では邪魔者になる。と妻は考える。

  だが必要でないものはすべて邪魔なのだろうか。たとえばセミ

  は、人間からみてとくに必要なものではない。せいぜいネコが

  オモチャにしたり、俳句の題材に使われる程度だ。しかし必要

  ないからといって、セミは邪魔だろうか。害を及ぼさない限り

  邪魔とは言えないだろう。男も同じだ。男が家の中にいても、

  害を加えるわけではない。たんに不必要なだけだ。不必要だか

  らといって邪魔者扱いするのは不当である。こう言うと、妻が

  反論した。 「でも家の中にイノシシが住み着いたら邪魔でし

  ょう? あなたがセミぐらいの大きさで、ずっと公園の木にとま

  っていて早死にするなら、邪魔にならないかもしれないけど」妻

  は幸運だった。私がその時に急に睡魔に襲われ眠り込んでしま

  ったため反論の機会を逸してしまった。眠らなければ簡単に反

  論できたはずだ。

問題は、妻えの反論よりも、これから何をするかだ。子供のころは、

  近くの丘を走り回ったり、アサリを取ったりしたいと思ってい

  たが、いま、そんな縄文人のような狩猟採取生活をする気には

  なれない。犬やネコのなら、自由になれば、走り回ったり体を

  なめたりするところだが、わたしは体をなめたり走るまわるの

  も好きではない。

成熟したわたしにふさわしいことが何かあるはずだ。それはこれか

  ら考えるつもりだが、はっきりしていることが一つある。図書

  館に通うことだけは避けたい。近所の図書館は、新聞や雑誌を

  よんでいる中高年の男でいっぱいだ。その光景には華やかさも

  活気もない。ちょうど病院の待合室みたいだ。そんなところに

  通うなら、自分の身体をなめていた方がましだ。せっかく得た

  自由だ。大きく羽ばたきたい。

希望に燃えていると、数日後、年金額の通知が来て驚いた。思って

  いたよりはるかに額が少ない。小遣いが子供なみにるのは必至

  だ。金が使えないとなれば行動範囲はにわかに減ってしまう。

  金がかからず、長時間、時間をつぶせるところを考えてみると

  、いくら考えても図書館ぐらいしか思いつかない。】


私の心境が描写してありました。 お休みなさい。・。


今日も二条城のライトアップ 桜