下鴨神社に行ってきたよ       ( ^ω^)・・・

 

何年間前から気になっていた神社 新緑が素晴らしい下鴨神社です この参道が紅葉に

なると奇麗だろうなぁ~と思っていたが紅葉の季節になると忘れていた そうだ今年こ

そは行くぞ が 少々遅いかもなと思いながら出かけてきましたが 何となんと下では

なく上「賀茂」に間違って行ってしまいうろうろ 駐車場料金400円を無駄払い

慌てて下鴨神社に向かい激写??? 時間がなく またひと人で嫌になり明日の朝日が昇る時間に行こう で 朝早くから出かけてきましたがカメラマンと散歩の人と中国の太極拳の人々が頑張っていました 写真は素敵な紅葉と朝陽のコントラスが奇麗で

 

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------

賀茂建角身命八咫烏伝承

当神社がまつられたのは、崇神天皇の7年(BC90)に神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録があり、それ以前の古い時代からまつられていたとおもわれます。先年糺の森周辺の発掘調査で縄文時代の土器や弥生時代の住居跡がたくさん発掘され、それを裏付けています。また社伝や歴史書に、お祭、社殿、ご神宝等の奉納などが記録されています。『続日本紀』の文武天皇二年(698)には、葵祭に見物人がたくさん集まるので警備するように、という命令が出された、という記事があります。このことから、奈良時代より前から当神社が大きなお社で、盛大なお祭がおこなわれていたことがわかります。

平安時代には、国と首都京都の守り神として、また皇室の氏神さまとして、特別の信仰を受け、別項に記します式年遷宮や斎王の制度などがさだめられていた特別な神社であったことがしられます。そして『源氏物語』や『枕草子』など王朝文学にしばしば登場いたしますように、この時代の文化、宗教の中心地の一つとして栄えました。

平安時代末期になりますと全国に60余箇所もの荘園、御廚が寄進され神社をささえました。 鎌倉時代室町時代、そして戦乱の世になっていくにつれ、各地の荘園も連絡が次第に絶えて行きますが、代わって国民の信仰が神社をささえていくようになりました。神殿守(殿司)とよばれる人々が全国をまわってご神徳を説いていくのもこのころです。当神社を舞台とする、数多くの能(謡曲)などに、そのころの様子がうかがわれます。また国の重要な出来事には、かならずご祈願が行われました。 江戸時代にも、国と国民の幸福を祈願する神社として、神社の運営のため幕府より領地が寄せられました。 明治初年、全国の神社の代表として、官幣大社の首位におかれ、今日まで国と国民のための祈願を日々おこなっています

--------------------------------------------------------------------------------------------------

 

 

f:id:Tigers-1:20211210162051j:plain

緑と紅葉と糺すの森 瀬見の川