友が 正月の六日というのに十二指腸の病気で手術 二三日して落ち着いたら
顔見にいこう まんまるの顔が
少しは 細くなっているかな・
頑張れ ○○君
話は変わるが
“そのようにまでせねば ならなかったか しかし・・・”
○○○○の言葉だそうだ !
大西瀧治郎中将が猪口大佐に命じ関口大尉が敷島隊と名づけ十月二十五日に
レイテ島タクロバンの海上に 敵の空母群を発見し 関大尉は
翼を左右に振り 全機が 低空で突っ込んでいった 軽空母・
空母・軽巡洋艦を撃破した 自分の命を代償に
この報告を受けての ○○○○の言葉だそうです 空しいね ほんとうに
尚 関口大尉が
“満里子殿 何もしてやれる事が出来ず 散り行く事はお前に
対して誠に済まぬと思っている 何もいわずとも 武人の妻の
覚悟は十分出来ている事と思う ご両親に孝養を専一と心掛け
生活していくよう 色々思い出をたどりながら出発前に記す
恵美ちゃん坊主も元気でやれ 行男”
“教え子へ 教え子は散れ山桜此の如くに”
関口大尉は 最後に報道班員に 次のように呟いたそうです
“日本もお終いだよ 僕のような優秀な操縦士を殺すなんて”
“僕は○○○○のため 帝国のために行くのじやない 最愛
の家内のために行くのだ 命令とあればやむをえないが
日本が負けたら家内がアメ公に何をされるかわからんから
な 僕は彼女を守るために死ぬのだ”
終戦の直前の 戦場(現場)では幕末の時代と同じく現場に人物がいたのだ
!凄いな〜命を懸けている人達は 名も無くても!